2006年11月28日

グレート・マスターズ

一見凄いモノに見えるが邦訳すれば“ジジ・ババ生存確認”の為のコンサートである。

11月3日紀尾井ホールで開かれ、私もジジとして共演、30年近く振りにクラシックを吹いた。ピアノは本荘玲子。

全共演者が70才以上という事だが、声楽の栗本尊子・川村英司両氏は全く衰えていない事に驚嘆。チェロの青木十良氏(91)は実に見事につきた。73の小生大いに反省の要だらけで、息のアガリが少々残念で、これを如何に克服するかがこれからの課題と言えよう。

ピアノの本荘玲子とは古いつき合い。バルトークの初演以来であるがこれ又、少しの衰えを見せないばかりか、サポート以上のものでカバーしてくれた。

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2006年11月09日

リードという名の小シャクな奴 (2)

リードをつける事を初めて私に教えてくれたのは宮沢さんという当時の町の軽音楽師であった。煮しめた様なドス黒いリードをつけてくれて出て来た音は限りなく今にして思えばチンドンの音であった。そして私に吹けとマネして吹いたのが当時流行っていた「長崎物語」という曲のイントロで上のラの音が6ヶも続くメロディーで、タンギングなしで吹いて聞かせ「これマネろ」であった。

芸大受験の直前位迄タンギングというものを知らなかったのはそのせい。終戦直後の田舎町を想像して頂きたい。まさに笑い話です。

古いリードをタンギングなしで……というのを試せる人はどうぞ。限りなくチンドンサウンドでしょう。

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2006年11月08日

リードという名の小シャクな奴 (1)

御存知のようにクラリネットの歌口(吹き口)には発音の元となるリードという物をつけている。葦の茎で作られているこれが楽器の音色を左右する奴でひいては演奏技術迄にも大きな影響を与える事が恐ろしい。滅多に口と楽器にピタッと来るのが無いのが悲しい。

昔、父にリードを買う金をせがんだ所「カゴ屋(駕籠ではない竹細工屋)で竹買ってこい、ワシが作ってやる」には参った参った。

楽器を手にした当初はリードの存在しか知らずに吹いてた訳で(勿論音は出ない)何て難しい楽器だろうと思った今では笑い話もある。

中々気の合わないこの小シャクな奴とあと何年つき合うのかと思うも変な気分になる。

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2006年09月29日

情けないコンサート

去る9月9日池袋の東京芸術劇場小ホールで私の「ブラボー!スイングジャズ ルネッサンス〜We Love Clarinet」のコンサートが行われた。

年取るとは斯様な事かと心髄に沁みた『情けない』コンサートになった。ステージの上で両手人差し指と右足の親指が突っ張って硬直するわ、脇腹に痛みは走るわ、泣けて来そうになった。頭の中はもうまっ白で神経はバラバラ、半分も満足に吹けない状況。こんな事は勿論『初体験』でコンサート後2〜3日は底の底まで落ち込んでしまっていた。

日頃の不摂生のせい(食事・睡眠を含めて)ではないかと少し不安になっている今日この頃である。

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2006年09月22日

二度目の還暦

広島県福山市の誠之館(せいしかん)中学校の音楽部に入部した私に与えられた楽器はクラリネットであった。

昭和22年(1947年)旧制中学校の2年の9月だった。生まれたのも9月、クラリネットを手にしたのも9月、今主宰しているミレード音楽産業を設立したのも9月。別にそこに関連性などは何も無いが偶然の連発としておこう。

来年の9月で楽器を手にしてまさに60年、実年齢の還暦は疾うに迎えているが、二度目の還暦はクラリネットに関してなのである。

今振り返ってみてクラリネットだったからこそこれだけ続いたのかもしれない。何としてもこの楽器の音色に惚れ込んでいるのだから。低・中・高音とこれ位それぞれの個性豊かな音と広い音域を持った管楽器は他に類を見ない。

We Love Clarinet(ウイ・ラブ・クラリネット)なのである。

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2006年09月21日

余り当てにならない私の健康食品の取り方

本職のクラリネットにシビレル程こたえた二つの大病(脳梗塞・膀胱癌)を終えて数年以上経つ。日常生活には殆んど影響は無くなっているが、楽器には相当な後遺症が現在でもある。それに加えて老衰(いい言葉だねぇ)もあり、何かと身体の実感が心許せなくなっている。

余り当てにはしないが、起き抜けにニンニクのカプセル3粒(高齢者は無料)、午後梅肉エキスの粒を10粒と黒酢カプセル3粒、寝る前にヨーグルトとまあこんなものがメインである。その上365日梅干し1ヶ。

要は気の持ちようで「あっ効いている」と思う事が肝要で然かも出所のハッキリした、昔からヨイとされるものばかりなのが特にいいと思っている。

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2006年08月18日

高校野球珍名

夏の高校野球が始まった。これが始まると何も出来なくなってしまうのが恒例だ。何しろ沖縄から北海道まで全国区であれば、普段あまり見目にしない名前にも出くわす事になる。

それらを列挙してみよう。東舟道(ひがしふなみち)・船道(ふなみち)・丸(まる)・撫養(むや)・嘉数(かかず)・奴賀(ぬが)・頓所(とんしょ)←同一チームに二人、血縁は無いそうな・・・。同じチームに小石・飛石・小猿(こざる)←顔も可愛かった・猪越(いのこし)など、他にも沢山あったがそれぞれ皆良くガンバッテいた。

別に変わった名前だからってどうって言う事もないが印象深く、記憶に残りそうだ。

みんなガンバレ!!

posted by 藤家虹二 at 20:37 | TrackBack(0) | 日記

2006年08月07日

ウィ ラブ クラリネット

来る9月9日(重陽の節句)にWe Love Clarinetのコンサートを池袋にある東京芸術劇場で行う。

ゲストに谷口英治(若手で非常に目醒ましい活躍中)と右近茂(本職はテナーマンだけどクラの音がとても良いので小生の好きな奏者の一人)の二人のクラリネット奏者とギターの法田勇虫君、ヴォーカルの紗野葉子を迎えてのハッピーコンサートにする予定。

約九年前、小生の脳梗塞発病の故で欠場の止むなきに至った時と同じような企画に敢えてしてある。少しだけリベンジの意味もあるかと思っている。

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2006年08月02日

私の中のアニバーサリー

昭和22年、広島県福山市の誠之館中学校二年生の夏、クラリネットを初めて手にして長いつき合いが始まった。

阪神タイガースのファンになると同時スタートで、実に来年('07年)クラリネット還暦を迎える。三日坊主の私がこれだけ長続きするなんてまさに異例な事である。まずはメデタイと言うべきか。

次は藤家虹二クィンテットが'08年に50周年を迎える。スタート時からのメンバーの移り変わりの中、すでに鬼籍に入った者の数を指折ってみたら6人。(どういう訳かそのうちベースマンが3人を数える。)哀しい事である。合掌!!

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2006年07月20日

ファイナルコンサートを終えて

去る7月1日「藤家虹二 プレイズ ベニー・グッドマン Vol.7 ファイナル」が終演した。

アッという間の7年間であった。第1回のスタートからファイナル迄、殆どチケットは完売。補助席も満杯という状況は大変有り難いことで、支援して下さった皆様にこの場を借り改めてお礼を申し上げたい。

スイングジャズは衰退していると言う人もいるが、こんなに支持者があると言う事に心強さを覚えると同時に、来年に向けて新しい企画をしなくちゃと思っている。

さて、次は9月9日「ブラボー! スイングジャズ ルネサンス 〜 We Love Clarinet 〜」このコンサートに向けて鉢巻きの締め直しをしている所である。

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