2008年06月08日

朗報・リード再生!! (3)

本来ならば、メーカーは作った時にそれ位のテストをしてセレクションをするべきで、「2番のリードを買ったつもりが、3・4番のようなものも混在する」という不思議な現象は起こりえないのである。

然し考えを反転してみればムダなリードを沢山売るのも経営上必要なのかも知れない。穿った見方をすればそれも金儲けの手段になり得る訳で、売ったリードが全てよく鳴れば売り上げは半減どころじゃないだろう。その意味では花井君の考えたこのリード(現在クラリネット、サックス、バスクラなどのシングルリードに限る)再生術はまさに青天の霹靂であろう。

現在は私の手許に新しく20枚のリードを入手した気分(すべてよく鳴る)で、長年使ってなかったリードケース(20枚入り)を久しぶりに引っ張り出して使い出した所。

興味があり相談してみたい人は私の所にメールして下さい。もっとも、私はアナログ人間。メールはマネージャーが拝見します。

posted by 藤家虹二 at 10:52 | TrackBack(0) | 日記

2008年06月07日

朗報・リード再生!! (2)

実際に私が見た所リードの人相がよく見えるのである。それともう一つの“厚さ・硬さ”のバランスをよくみる道具と併せて、悪い筋を見つけそれを切ってしまうのである。

最近、あるコンサートに向けて私がリード選びをしたが、まさに大不運、2箱のリードのすべてが使い物にならない。その上、中でも10枚は全く音にならない代物であった。その20枚を全て彼に託してみた。結果、20枚のリードが全て復活したのである。

但し、問題は、つまり「練習する分にはまったく問題無し、然し本番には使えないかも」というものも勿論出て来たこと。が、よく考えてみれば、元々材質が良くない物だってある訳で、音はスムーズに出るがデリカシー(意味は分かるでしょ?)に欠ける事は如何ともし難いのである。ppがきれいに吹けないというのは問題外として、ダメリードが全て復活したという事は慶賀に堪えないし、これメーカーにとって大打撃だろう。

posted by 藤家虹二 at 11:43 | TrackBack(0) | 日記

2008年06月06日

朗報・リード再生!! (1)

私の60年のクラリネット人生で最も泣きを見て来たのがリードである。

例えばリードを一箱(10本入り)を買ってそのうちコンサートなどの本番で使えるものが何枚あるか、という事は皆も知っての通り。私の場合一枚でも大ヒットするのがあればいい方で一箱丸ごとダメな事もある。残りの中で多少とも吹ける物を練習などで使ってみるがこれが仲々切ないものがある。

所が、最近知り合った花井宏維さん、定年で会社は退いたがその前からリードの研究を進めていた人。アマチュアながらクラリネットが好きで自分でもよく吹く人でその頃からリードの無駄に気付いて「何故だろう?」が始まったらしい。所詮リードは葦という植物だからその中に悪い繊維がある筈。ならばそれを断ち切ればいいのでは、という事に気付いた。その維管束(と彼は呼んでいる)のチャンとした処理が出来れば、と考えてその道具(リードの本性を探るための)を開発して特許を取った。

posted by 藤家虹二 at 00:36 | TrackBack(0) | 日記

2008年06月05日

怒りを忘れた日本人

そこはかとなく忍び寄る言論統制、諸物価の値上がり、それに加えて税金等々の値上がり。無能な政・官のツケ回しが今国民に向けられていて、そこに加えて保険の問題、それに何より「後期高齢者」なる奇怪な新造語の誕生。

今年の9月2日になると私もその後期に入る訳だけど政・官の連中は「公僕」という立場をどう理解しているのか?一日3億とも言われる国会の費用のムダ遣い。これだけの事があっても公僕達の主人である国民は一向に怒ることをしない。選挙をすれば愚かしい奴と分かっていても票を投じるし、又ぞろそんなのが国会ではボスの言いなりで只ウロウロするだけ。

いつの頃から我々日本人は「怒る」という事を忘れてしまったのだろうか。先行き短い私たち「後期人間」は兎も角として中堅・若手のまだ先のある人達はもっと怒ってもいいのでは?隣の韓国あたりでは政治に対して実に素直に反応しているのが羨ましいと思うのは私だけだろうか。

posted by 藤家虹二 at 23:51 | TrackBack(0) | 日記

2008年06月04日

高橋達朗(達也)氏を悼む

2月末、長い間の闘病生活の末東京ユニオンのリーダーだった高橋達也氏が逝った。

東京ユニオンを率いてひと時代を築いた功績は大である。山形県鶴岡市の出身で彼の誠実・朴訥な人柄は多くの人に愛され続けて来た。と同時にスタンダードでオーソドックスなテナーサックスプレイも大変に魅力があった。暖かい音色が何よりもそれを物語っていた。

ベニーグッドマンの死後、評論家の瀬川昌久氏の御助力を得て作ったTribute to Benny Goodman (BMG) の録音では解散直前の東京ユニオンの大いなる協力に言及せざるを得ない。私の為にユニオンは3日間のリハーサルをしたと当時のマネージャーの根崎君が言っていた事を想い出す。それ程迄にと思うがそのあたりが誠実な彼の真骨頂であろう。残念なのは昨年12月の私の山形酒田でのコンサートに同行する筈であったのが病の為実現しなかった。プログラムへのメッセージが遺稿となったのは甚だ残念であったろう。

ご冥福を心より祈る。

posted by 藤家虹二 at 21:38 | TrackBack(0) | 日記

2008年03月20日

黒人のジャズスピリット (1)

先日、久しぶりの銀座スウィングでのライブはやや体調不良のせいか少々キツかったが、楽しい事も。当夜は故園田憲一の遺児市川文香のボーカルと、客で来店していたセタニア・サン(*)という黒人歌手との二人の歌の聞き比べ。

文香は初々しさもたっぷりあるとても素直な歌い方で、とても好感度の高い先行き楽しみな女の子。変にひねくれた歌手の多い中、このままスクスク育って欲しいと思うよ。ソノケンもいい遺産を残したものと感じ入る次第。片やこれも上等なプロ歌手。“ミスティ”と“いそしぎのテーマ”の2曲を歌ったが、黒人特有の遊び心一杯で伴奏していて圧倒された。あの独特の即興心(ごころ)は彼等ならではのもの。

聞いて楽しい黒人のジャズではあるが、決して我々日本人がマネの出来るものではない。血の違いと言ってしまえばそれ迄であるが、黒人の産みだしたジャズを整理整頓して来たのが白人達であった歴史を考えてみれば一目瞭然。続きは次回に。

(*)...と本人に言われたのだが、多少聞き間違っている可能性もある。

posted by 藤家虹二 at 23:44 | TrackBack(0) | 日記

2008年03月16日

初体験

リードという奴、今迄60年のクラリネット生活の中で今度体験したのはまさに初めてである。

昨年12月15日横浜港南でのコンサートは2日位かけてリード選びをしたあと、これはイケると判断したものを持って開演に臨んだ、が然しである。第一部の約小1時間の間に彼奴(リード)のコンディションが急激に変化し始めて、音程・音色のコントロールがどんどん崩れ始め、脂汗と冷や汗が両方出て来る気分を味わうなんざぁ稀にしか体験出来ない事をやってしまった。

音色はとも角として、音程がコントロール出来ないという事は楽隊として大変に情けないことでもう少しで大恥をかくところであった。稀にしかない事であるが休憩時間にリードを取り替えて立ち直る事が出来たが、本人としては後遺症の残るコンサートであった。

その為か第二部の最初の頃は頭がイカレてたせいか指の間違い迄連発する始末。褌をしめ直さなくてはと思う事深刻であった。

posted by 藤家虹二 at 19:24 | TrackBack(0) | 日記

2008年03月15日

日本はどこへ?

今の政治状況、これは一体なんだろう。

役人(それもコチコチの)経歴を持ち父親も総理大臣だった後を受けて自身も総理になった福田。私に言わせればまさに蛇の印象を受ける男であって全て無関心なような発言の中にアメリカの真性ホラ男、ブッシュのポチたる発言だけはしっかりしてる。何がイヤかというと、自分の辞書の中に“苦労”とか“貧乏”の文字が無い男であるから国民の心の痛みなんぞは先ず判る筈も無かろう。

まさに国民は自衛だけで生きて行けと言わんばかり。納税者はこれではタマりません。
他の大臣達も大体そうである。与党というだけで国土交通大臣になり、妙にツっぱって無責任な事ばかり言っているものの、実際はてめえの省の役人のいいなりになっているのも然り。

厚労省に至っては、もうつける薬も無い位のアホ丸出し。TVのバラエティ番組時代から“東大の程度も低くなったもの”という印象だったが、厚生労働大臣という肩書きがついて上にドの字がついてしまったのも然り。

もう日本国民は救われません。

posted by 藤家虹二 at 14:32 | TrackBack(0) | 日記

2008年01月22日

正月気分の中で (2)

ロジャースの音楽は何よりも猛烈メロディアスな所が魅力であると私は思う。

制作者(プロデューサー)の凡ゆる所に張りめぐらした神経の細やかさが目立つ。楽隊にとってこれだけ濃い音楽を目の当たりにされると「万才」である。誠に結構ずくめのミュージカルである。

物語としては他愛も無いものであるが、流石に音楽の力というのはその他愛も無いストーリーの情感をグーンと盛り上げて迫って来るのである。そして何より仕事の丁寧さというか、ひとつのBGMの済みから済み迄配慮の行き届いた編曲そして演奏はさすが、という他はない。

すべからくシンセサイザーの多い最近の音楽状況の中でこんな音楽が主役のミュージカルを聴いているだけで心休まる思い。それだけに尚更このミュージカルはストーリーの他愛の無さなどはどこかにフッとんで心に迫るものがあるのかも知れない。

ドラマの中に占める音楽の存在というものを最近素晴らしい音楽を作る人が増えてるだけに制作者にはもっと考えて欲しいもの。

posted by 藤家虹二 at 23:43 | TrackBack(0) | 日記

2008年01月21日

正月気分の中で (1)

少々遅くなってはしまったが、新年明けまして、で切ります。

おめでとうがピッタリの人、そうでない人サマザマなもので。兎に角大部分の人は又もや「今年こそ」という日がやって来た訳で、私なぞは70?回目、ずーっと「今年こそ」の繰り返しである。正月は例によって食べ過ぎの悪習で始まった。もっとも、ここ数年正月はアルコール抜きで過ごしている。暮れの教室の忘年会でも浅墓極まりないノみ方をして「反省」を通り越していたので。

三が日は時代劇三昧だったが「風と共に去りぬ」と「サウンド・オブ・ミュージック」は見た。

特に後者はもう何十回(ビデオも含めて)見た事か。見る度に私は涙の出る回数と量が増えて来て仕方ない。ジュリー・アンドリュース、クリストファー・プラマーの両主演役者も素晴らしいが出て来る子供達、修道女も仲々どうして、である。ナチの色づけもよいし何より音楽の密度の濃さが耐まらない。歌もいいのは(ヒットソングも多い)勿論だが、編曲も演奏もホント心に泌みこんで来る。(つづく)

posted by 藤家虹二 at 23:05 | TrackBack(0) | 日記