2010年03月15日

H・クローゼ

ブログを大サボリにさぼってしまい、アチコチから大クレームあり。生きてる証拠に続けろ、が大半である。これ全て私の持病の為せる業で、“慢性と急性両方の横着病”と御理解頂きたい。年が明け大分過ぎてしまったが再開しようと思い立ちペンを取った。発病しない限り続けるつもりである。

所で、全音楽譜から“クローゼ”のクラリネット教本が出版された。若い板倉君というクラリネット奏者がこの編集をやったのである。楽譜・訳文共に誤りを見つけて初版本から歴史をたどっての作業、大変だったと思うが…

非常に残念なのは私にとってクローゼの看板であった20スタディーズの一番は芸大入学試験で吹いた思い入れの深い曲。13番は私の教則本に師のハッポーさん(故大橋幸夫氏)が序文で書いている通り、アイヒラーのヒステリー(と私は今でも思っている)によって半年間吹かされたもの。藤家とクローゼの13番という言葉は当時私の周囲では有名なエピソードであった。また、20番はハッポーさんが「お前これウマいよ」って言ってくれたもの。「音がキレいに全部出てるよ」(当たり前だけど)で最後に喜ばされた記憶がある。

つまり20スタディーズの無いクローゼ、私は大いにガッかりであった。出来れば追加して欲しいと思うのである。全音さん、板倉君、よろしく頼みます。

というわけで、10年最初のブログは私の青春の思い出の中にあるクローゼについての独り言であった。

posted by 藤家虹二 at 01:24 | TrackBack(0) | 日記

2009年05月12日

百年の時を経て

私の敬愛するスイング王ベニー・グッドマンの生誕百年を迎えて色んなイベントが名乗りを挙げている。長年彼のクラリネットに魅せられ後追いをして来た私も今、遅まきながら名乗りを挙げようとしている。決まったら詳しい事をここで紹介させて貰うがこれは楽しみ半分、不安が半分といった所だ。楽しみは“プレイズ ベニー・グッドマン”コンサートを何年か続けた時の客席の好意を再びという事。不安のネタは年老いてクラリネットを万全に吹き終える事が出来るかどうかの問題だ。

77歳で亡くなったベニー・グッドマン。没後23年経過している事、私が2枚組の追悼版を作ったのが没直後であった事を思い起こすとまるで急坂を転げ落ちるような時の過ぎ方を感じてしまう。これも又今は亡き高橋達也氏の協力を得て東京ユニオンのラストシーンにもなりそうな頃合いであった事も思い起こすとなつかしい。

ま、兎も角具体案が出ればレッツダンスから始まるスイング・オン・パレードを今から楽しみにしていて貰いたい。“ビバ! トリビュート・トゥ・キング・オブ・スイング ベニー・グッドマン”、乞う御期待といきたいものである。

posted by 藤家虹二 at 02:10 | TrackBack(0) | 日記

2009年05月08日

世襲・二世

国会議員に世襲がどれ位いるか私は知らないが、何となく殆どと言って良い位いるのではないか。安部・福田と途中で仕事を放り出したのもそう。親の出来が良かったからといって子供がいいとは勿論無い、が然しその逆の方が多いのではないか。選挙区を変えさせれば、などと誰かが言っていたが地盤・看板・カバンが全部ついて来ないようにすればいいのか。何しろ親の七光で生活実感の無い奴が国民のくらしに根本的に関わる事自体奇妙な事なのである。今、政府はあって無きが如しである。

所が我々楽隊の世界での二世というのはこれはキビしい。この才能と努力だけは甚だ難しいもので、親はダメだったが子は素晴らしいという例は可成りある。政治屋と違って人の心情に訴える作業というのはそれ程に難しいというか困難であって、浮気な受け取り手は中々スンナリとは楽隊の作業を認めてはくれない。

プロ野球の世界でも又二世の凄い奴はMLBあたりにチラホラ見つける事は出来るけど我が国には見当たらない。結論は政治屋には簡単に出来るが他の世界では中々難しい事だと言いたかったのだ。

posted by 藤家虹二 at 00:04 | TrackBack(0) | 日記

2009年05月06日

公然ワイセツ?

人気グループ、スマップの中の一人草K某がふん捕まった。どっちもどっち、お巡りもやり過ぎ(と私は思う)たし、捕まった方も昔なら一晩「トラ箱」で翌朝しおれて帰宅でチョンだった筈。尿検だ、家宅捜査だ、逮捕だと大騒ぎ。ニュースショーに随分とサービスしたものだ。しまらない政治の世界の推測話とか相も変わらぬ暗い“コロシ”の話とかではなく大いに助かった模様だ。

私など若い頃まるで節操の無いノミ方をしていた事を思うと天下を取ったような他愛もない気分になる陽気な酔っ払い位今のフン詰まりの世の中で少しは多めに見る余裕は無かったのだろうか。公然何とかというけれど果たして夜中に何人の“公衆”があのすっ裸を見たのだろう。脱いだ洋服をキチンとたたんでいたというが、私も泥酔して帰った時程チャンと衣服は片付けて寝ていたもの。尤も翌日何も覚えていなかったが。

ま、何はともあれ酒好きの奴は理性なんかブットんでしまう程ノんでしまって、本人のみパラダイスに居る訳だから、まわりの人がチョッとした気配りをしてやれなかったのかと思う。大抵の場合、一人デキあがると意外とまわりにいる奴は酔えなくなるというオカシな習性が酒飲みにはあるもの。店の奴がせめて送っていってやってればと思うよ。

posted by 藤家虹二 at 14:50 | TrackBack(0) | 日記

2009年05月05日

繰り言

最近ジャズの楽隊が逼塞(ひっそく)間に苛まれている気がしてならない。友人その他に聞いてみても「ヒマだよ」って答えしか返って来ない。私のような高齢者楽隊は兎も角として、バリバリの現役世代の連中ですらそうらしく中々辛いものがある。

麻生太郎の言う「百年に一度の不況」は兎も角として、これに何もしない政治屋が何を言うかという腹立ちは別として、世の中どうなってんだろうという思いは確かにある。不要不急業務であることは決して否定はしないが、楽しいジャズを聞く余裕さえ無くしてしまっている世の中、果たしていいのだろうか?

考えてみればテレビで流れている音楽に電子音楽がどれ位あるだろう。自分で苦労して音を出す楽器の音を聞く安らぎとは雲泥の差で神経は和みはしない。それよりテレビでジャズの音を聴く機会は殆ど無いいっても過言ではないだろう。バカバカしいバラエティ番組は後を絶たないし、面白くもなんともないお笑い芸人、噺さえ満足に出来ない落語屋などが我が物顔にノサばっていて、そのままにテレビが自分の首締め番組ばかりではジャズの事は忘れられても仕方ないのではないだろう。お陽さまも少しはジャズの方に向いて欲しいもの。

posted by 藤家虹二 at 15:13 | TrackBack(0) | 日記

2009年04月21日

リード哀しや

私の教室のレッスンから帰宅後又々リード選びをしながら、結局この作業はクラリネットを捨てる(廃業?)時迄続くものと改めて痛感した。誠に以てこの作業、ある時は腹立たしいし、イライラするし、まさに泣けてくるものだ。

いつか紹介した事もあるが花井君という男がシングルリード研究室というのをやっていて私も随分世話になり、リードの再生をして貰ったが、修正されたリード、確かに驚くばかりの再生をしているのだが、所詮最初に鳴らないリードという奴、何か根本的な問題が(材質・カットの加減等)あるのかなとも思う。

昨年12月6日の私のアニバーサリーコンサートは修正リードを使用したものだけれど、矢張り新品の時からよく鳴るリードとは違うものがあって、コンという感じが出て来ないのは致し方のない事だろうか?尤も稽古してても、唇・舌・ブレス等がドンドン老化していく現在、肉体の退化がリードのパワーに追いつけないのかも知れないとも思える。情けない話ではあるが……

結局、終生リードとの厄介なつき合いはまだまだ続くのである。(ウンザリ)

posted by 藤家虹二 at 01:58 | TrackBack(0) | 日記

2009年03月22日

自分の音

私の教室でもよくある事だが、レッスンの時、無闇に張り切ってしまう人がいる。目一杯吹いても音は乱れて音程もオカシくなってしまうもの。私自身にも若い頃おぼえが無い訳ではない。腹八分目とはよく言ったもので、ホンの少し控え目にした途端、音はグンと良くなり、タンギングも楽になるもので、中々そのあたりの加減が難しいものである。

マウスピース、リード、その他、定(き)まりというものは全く無い。いつも言っている事だけど、自分の身の丈に合うもの(体力・技量など)を選び、よくなじむ迄使いこなす事が肝要である。

唇を大切にして、特に高い音の発音と音程の調整は下側の唇がきちんと片付けてくれる事に早く気付く事が大切である。歯と唇はクラリネット吹きにとって非常に大切なもの。この二者は大切にして使いこなす事が大事で、音色の可否も決まる。

そんなトレーニングの中で自分の気に入った音を見付けてそれを育てていくこと。吹く人にとって例え趣味であろうとも、吹く事に快感を覚えねばやってる甲斐もないというもの。頑張って自分のお気に入りの音を作ってもらいたい。

posted by 藤家虹二 at 16:38 | TrackBack(0) | 日記

2009年03月16日

ここに再び

昨年('08年)7月で私のブログはストップしたまま。友人から、“お前はまだ生きてるのか?”とブログの中断をいぶかった電話があってビックリ。成る程、続いてたものをストップするとはこういう事かと思ってここに再開する事にした。

7月といえば50周年コンサートやCD制作などを控えて準備を始める気にならざるを得ず、ついつい中断する事になってしまった。サボりぐせというのは実に簡単に習性になるものとつくづく思ってしまった。

CD制作の為の選曲・録音などが終わり12月6日のアニバーサリー・コンサートに向けて最後の追い込みにかかっていた訳で、終わってみれば、ああ疲れた、の気分一杯。そのうち正月その他であっという間の半年。実にサボり易いものであった。その間クラリネットが下手になる実感も益々重くなり、“トシ”、”老衰”などと言い訳には事欠かない有様。

学生時代の教則本を又もや引っ張り出して一からやり直し始めたのが最近である。“逃げた魚”ならぬ時間はまことに大きいものがあって少々恨めしそうな顔になるのもしばしば。

ま、気分を少々取り直してやる事にしましょう。“ゆっくり・のんびり・美しく”をモットーに。よろしくお付き合い下さい。

posted by 藤家虹二 at 02:32 | TrackBack(0) | 日記

2008年07月24日

コロシの氾濫

ニュースを見るたび、「殺人事件」が日常茶飯事の如く耳や目に入って来る。いつ頃からこんな事態になってしまったのだろう?

その中でも悲惨なのは、親が子を、子が親を、祖父母を孫が、その逆だったり、恋人同士とか。実に身近な人の間での事件が余りにも多いのは悲しすぎる。考えてみれば最も愛の深い所でこんな殺し合いがあるなどとはもう悲しみを通り越して只呆然とするしかない。

いわゆるキレた、むしゃくしゃしたからなんて訳の分からぬ理由による殺人はもう異常としか言えない。堪え性の無い人種が増えているのだろうが「欲しがりません勝つ迄は」なんて掛け声で教育を受けて来た我々にとってまるで理解出来ない。尤も着る物も食べる物も全ての物が無い時代に育った者としては何しろ耐えるという事は極々普通の事であって何もかも堪えるしかなかったのである。

こんな事はもうウンザリ。情操教育の欠如かとも思われて仕方がない。

posted by 藤家虹二 at 21:05 | TrackBack(0) | 日記

2008年07月10日

50年経った

藤家虹二クインテットが今年の12月1日で50周年を迎える。アッという間かはたまた考えれば随分長かったのか判断が難しい所。 夜ベッドに入って眠れぬ時なんぞ、走馬燈のように沢山の事が頭の中を駆けめぐる。

例えば物故者を数え上げれば何人になるだろう?新しい所から順に列挙してみると、五十嵐武要(dr)、高橋進(b)、有近信彦(vib)、小津昌彦(dr)、モンティ本多(b)、藤田正明(g)、木村信弥(b)、八木正生(p)、この他にも消息の分からぬ人も数名いる。

喜怒哀楽という事に関して言えば怒と哀が一番多かったように思う。

ま、それはそれとして来る12月6日に有楽町朝日ホールで50年のアニバーサリーコンサートを開催し、併せてCD "We Love Clarinet Vol.4" を作って発売予定。司会には何十年振りだろう?、黒澤良さんにお願いしてあり、ゲストも私に関わり深い人達に順次お願い作業中である。先行予約もありがたい事に百数十名の方に頂いている。あとは下手になっている私のクラリネットと健康だけが問題。ガンバラねば!!

posted by 藤家虹二 at 22:15 | TrackBack(0) | 日記

2008年06月08日

朗報・リード再生!! (3)

本来ならば、メーカーは作った時にそれ位のテストをしてセレクションをするべきで、「2番のリードを買ったつもりが、3・4番のようなものも混在する」という不思議な現象は起こりえないのである。

然し考えを反転してみればムダなリードを沢山売るのも経営上必要なのかも知れない。穿った見方をすればそれも金儲けの手段になり得る訳で、売ったリードが全てよく鳴れば売り上げは半減どころじゃないだろう。その意味では花井君の考えたこのリード(現在クラリネット、サックス、バスクラなどのシングルリードに限る)再生術はまさに青天の霹靂であろう。

現在は私の手許に新しく20枚のリードを入手した気分(すべてよく鳴る)で、長年使ってなかったリードケース(20枚入り)を久しぶりに引っ張り出して使い出した所。

興味があり相談してみたい人は私の所にメールして下さい。もっとも、私はアナログ人間。メールはマネージャーが拝見します。

posted by 藤家虹二 at 10:52 | TrackBack(0) | 日記

2008年06月07日

朗報・リード再生!! (2)

実際に私が見た所リードの人相がよく見えるのである。それともう一つの“厚さ・硬さ”のバランスをよくみる道具と併せて、悪い筋を見つけそれを切ってしまうのである。

最近、あるコンサートに向けて私がリード選びをしたが、まさに大不運、2箱のリードのすべてが使い物にならない。その上、中でも10枚は全く音にならない代物であった。その20枚を全て彼に託してみた。結果、20枚のリードが全て復活したのである。

但し、問題は、つまり「練習する分にはまったく問題無し、然し本番には使えないかも」というものも勿論出て来たこと。が、よく考えてみれば、元々材質が良くない物だってある訳で、音はスムーズに出るがデリカシー(意味は分かるでしょ?)に欠ける事は如何ともし難いのである。ppがきれいに吹けないというのは問題外として、ダメリードが全て復活したという事は慶賀に堪えないし、これメーカーにとって大打撃だろう。

posted by 藤家虹二 at 11:43 | TrackBack(0) | 日記

2008年06月06日

朗報・リード再生!! (1)

私の60年のクラリネット人生で最も泣きを見て来たのがリードである。

例えばリードを一箱(10本入り)を買ってそのうちコンサートなどの本番で使えるものが何枚あるか、という事は皆も知っての通り。私の場合一枚でも大ヒットするのがあればいい方で一箱丸ごとダメな事もある。残りの中で多少とも吹ける物を練習などで使ってみるがこれが仲々切ないものがある。

所が、最近知り合った花井宏維さん、定年で会社は退いたがその前からリードの研究を進めていた人。アマチュアながらクラリネットが好きで自分でもよく吹く人でその頃からリードの無駄に気付いて「何故だろう?」が始まったらしい。所詮リードは葦という植物だからその中に悪い繊維がある筈。ならばそれを断ち切ればいいのでは、という事に気付いた。その維管束(と彼は呼んでいる)のチャンとした処理が出来れば、と考えてその道具(リードの本性を探るための)を開発して特許を取った。

posted by 藤家虹二 at 00:36 | TrackBack(0) | 日記

2008年06月05日

怒りを忘れた日本人

そこはかとなく忍び寄る言論統制、諸物価の値上がり、それに加えて税金等々の値上がり。無能な政・官のツケ回しが今国民に向けられていて、そこに加えて保険の問題、それに何より「後期高齢者」なる奇怪な新造語の誕生。

今年の9月2日になると私もその後期に入る訳だけど政・官の連中は「公僕」という立場をどう理解しているのか?一日3億とも言われる国会の費用のムダ遣い。これだけの事があっても公僕達の主人である国民は一向に怒ることをしない。選挙をすれば愚かしい奴と分かっていても票を投じるし、又ぞろそんなのが国会ではボスの言いなりで只ウロウロするだけ。

いつの頃から我々日本人は「怒る」という事を忘れてしまったのだろうか。先行き短い私たち「後期人間」は兎も角として中堅・若手のまだ先のある人達はもっと怒ってもいいのでは?隣の韓国あたりでは政治に対して実に素直に反応しているのが羨ましいと思うのは私だけだろうか。

posted by 藤家虹二 at 23:51 | TrackBack(0) | 日記

2008年06月04日

高橋達朗(達也)氏を悼む

2月末、長い間の闘病生活の末東京ユニオンのリーダーだった高橋達也氏が逝った。

東京ユニオンを率いてひと時代を築いた功績は大である。山形県鶴岡市の出身で彼の誠実・朴訥な人柄は多くの人に愛され続けて来た。と同時にスタンダードでオーソドックスなテナーサックスプレイも大変に魅力があった。暖かい音色が何よりもそれを物語っていた。

ベニーグッドマンの死後、評論家の瀬川昌久氏の御助力を得て作ったTribute to Benny Goodman (BMG) の録音では解散直前の東京ユニオンの大いなる協力に言及せざるを得ない。私の為にユニオンは3日間のリハーサルをしたと当時のマネージャーの根崎君が言っていた事を想い出す。それ程迄にと思うがそのあたりが誠実な彼の真骨頂であろう。残念なのは昨年12月の私の山形酒田でのコンサートに同行する筈であったのが病の為実現しなかった。プログラムへのメッセージが遺稿となったのは甚だ残念であったろう。

ご冥福を心より祈る。

posted by 藤家虹二 at 21:38 | TrackBack(0) | 日記

2008年03月20日

黒人のジャズスピリット (1)

先日、久しぶりの銀座スウィングでのライブはやや体調不良のせいか少々キツかったが、楽しい事も。当夜は故園田憲一の遺児市川文香のボーカルと、客で来店していたセタニア・サン(*)という黒人歌手との二人の歌の聞き比べ。

文香は初々しさもたっぷりあるとても素直な歌い方で、とても好感度の高い先行き楽しみな女の子。変にひねくれた歌手の多い中、このままスクスク育って欲しいと思うよ。ソノケンもいい遺産を残したものと感じ入る次第。片やこれも上等なプロ歌手。“ミスティ”と“いそしぎのテーマ”の2曲を歌ったが、黒人特有の遊び心一杯で伴奏していて圧倒された。あの独特の即興心(ごころ)は彼等ならではのもの。

聞いて楽しい黒人のジャズではあるが、決して我々日本人がマネの出来るものではない。血の違いと言ってしまえばそれ迄であるが、黒人の産みだしたジャズを整理整頓して来たのが白人達であった歴史を考えてみれば一目瞭然。続きは次回に。

(*)...と本人に言われたのだが、多少聞き間違っている可能性もある。

posted by 藤家虹二 at 23:44 | TrackBack(0) | 日記

2008年03月16日

初体験

リードという奴、今迄60年のクラリネット生活の中で今度体験したのはまさに初めてである。

昨年12月15日横浜港南でのコンサートは2日位かけてリード選びをしたあと、これはイケると判断したものを持って開演に臨んだ、が然しである。第一部の約小1時間の間に彼奴(リード)のコンディションが急激に変化し始めて、音程・音色のコントロールがどんどん崩れ始め、脂汗と冷や汗が両方出て来る気分を味わうなんざぁ稀にしか体験出来ない事をやってしまった。

音色はとも角として、音程がコントロール出来ないという事は楽隊として大変に情けないことでもう少しで大恥をかくところであった。稀にしかない事であるが休憩時間にリードを取り替えて立ち直る事が出来たが、本人としては後遺症の残るコンサートであった。

その為か第二部の最初の頃は頭がイカレてたせいか指の間違い迄連発する始末。褌をしめ直さなくてはと思う事深刻であった。

posted by 藤家虹二 at 19:24 | TrackBack(0) | 日記

2008年03月15日

日本はどこへ?

今の政治状況、これは一体なんだろう。

役人(それもコチコチの)経歴を持ち父親も総理大臣だった後を受けて自身も総理になった福田。私に言わせればまさに蛇の印象を受ける男であって全て無関心なような発言の中にアメリカの真性ホラ男、ブッシュのポチたる発言だけはしっかりしてる。何がイヤかというと、自分の辞書の中に“苦労”とか“貧乏”の文字が無い男であるから国民の心の痛みなんぞは先ず判る筈も無かろう。

まさに国民は自衛だけで生きて行けと言わんばかり。納税者はこれではタマりません。
他の大臣達も大体そうである。与党というだけで国土交通大臣になり、妙にツっぱって無責任な事ばかり言っているものの、実際はてめえの省の役人のいいなりになっているのも然り。

厚労省に至っては、もうつける薬も無い位のアホ丸出し。TVのバラエティ番組時代から“東大の程度も低くなったもの”という印象だったが、厚生労働大臣という肩書きがついて上にドの字がついてしまったのも然り。

もう日本国民は救われません。

posted by 藤家虹二 at 14:32 | TrackBack(0) | 日記

2008年01月22日

正月気分の中で (2)

ロジャースの音楽は何よりも猛烈メロディアスな所が魅力であると私は思う。

制作者(プロデューサー)の凡ゆる所に張りめぐらした神経の細やかさが目立つ。楽隊にとってこれだけ濃い音楽を目の当たりにされると「万才」である。誠に結構ずくめのミュージカルである。

物語としては他愛も無いものであるが、流石に音楽の力というのはその他愛も無いストーリーの情感をグーンと盛り上げて迫って来るのである。そして何より仕事の丁寧さというか、ひとつのBGMの済みから済み迄配慮の行き届いた編曲そして演奏はさすが、という他はない。

すべからくシンセサイザーの多い最近の音楽状況の中でこんな音楽が主役のミュージカルを聴いているだけで心休まる思い。それだけに尚更このミュージカルはストーリーの他愛の無さなどはどこかにフッとんで心に迫るものがあるのかも知れない。

ドラマの中に占める音楽の存在というものを最近素晴らしい音楽を作る人が増えてるだけに制作者にはもっと考えて欲しいもの。

posted by 藤家虹二 at 23:43 | TrackBack(0) | 日記

2008年01月21日

正月気分の中で (1)

少々遅くなってはしまったが、新年明けまして、で切ります。

おめでとうがピッタリの人、そうでない人サマザマなもので。兎に角大部分の人は又もや「今年こそ」という日がやって来た訳で、私なぞは70?回目、ずーっと「今年こそ」の繰り返しである。正月は例によって食べ過ぎの悪習で始まった。もっとも、ここ数年正月はアルコール抜きで過ごしている。暮れの教室の忘年会でも浅墓極まりないノみ方をして「反省」を通り越していたので。

三が日は時代劇三昧だったが「風と共に去りぬ」と「サウンド・オブ・ミュージック」は見た。

特に後者はもう何十回(ビデオも含めて)見た事か。見る度に私は涙の出る回数と量が増えて来て仕方ない。ジュリー・アンドリュース、クリストファー・プラマーの両主演役者も素晴らしいが出て来る子供達、修道女も仲々どうして、である。ナチの色づけもよいし何より音楽の密度の濃さが耐まらない。歌もいいのは(ヒットソングも多い)勿論だが、編曲も演奏もホント心に泌みこんで来る。(つづく)

posted by 藤家虹二 at 23:05 | TrackBack(0) | 日記